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「シャルケの右サイドバック、内田の今シーズンは終了」という記事を見て思った事

日本ではすっかりなかった事になっている内田だが、最近ドイツの新聞でこんな記事が出ていたとか

シャルケの右サイドバック、内田の今シーズンは終了

シャルケ04の右サイドバックの内田篤人の今シーズン中のカムバックはなくなった。火曜日にアンドレ・ブライテンライター監督が示唆している。“彼は何度もトレーニングに参加しようと試みていた。でも100%の状態だったことは一度もない。なのでメディカル・チームが、彼を再び日本の執刀医の下に送る決断を下したんだ。私の最新の情報によれば、彼は数週間そこに留まるようだね。”とブライテンライターは伝えた。

シャルケのマネージャー、ホルスト・ヘルトは最近、内田が3月上旬にゲルゼンキルヒェンに戻って来ると言っていた。しかしこうした楽観論もなくなってしまったようだ。この27歳の選手はひざの負傷のためにほぼ一年間休まなければならなかった。チーム医の助言に反して、彼は故郷で手術を受けている。

http://ichliebefussball.net/blog-entry-895.html

これを読んで日本サッカー協会への不信感が高まらないサッカーファンはいないだろう。何しろブラジルW杯前から既に内田は怪我をしており予選段階や親善試合の段階でも休養を必要としていたのは明らかだったからだ。しかも内田本人が代表を辞退したいといっていた時期すらあったのに選手側が辞退するとか勝手に決めれるものではないとか難癖をつけた挙句無理やり呼び出して怪我を悪化させていたのを見ていたからだ。代表選手を潰すのが日本サッカー協会の仕事だとは思えないし、手術に関してもドイツでは反対されていたにも拘らず無理やり押し切って日本で手術する形になっている事や日本代表の明らかに深刻な状態でもOKを出し続けるメディカルスタッフに至っては今でも無能だといわざるを得ない。内田に限らず、本田も同様に深刻な状態から完全に回復する事はなく選手としては2流の選手になってしまったといわざるをえない部分がある。本田に怪我がなければ病気がなければどれほど今が違ったか分らない。更に少し前は長友も怪我で潰し、長谷部も怪我で手術。日本代表に呼ばれた選手が尽く怪我をしていく、クラブチームの怪我と比べても比率が高すぎてもはや異常としか言いようがない。

2014.08.08 (Fri) 内田篤人はなぜ代表引退を考えたのか 試練が気づかせてくれた“本当の気持ち”

「中途半端になるのが一番嫌だった。欧州から日本に移動し、代表戦をやって、また戻って試合をする。状態が良くないまま、ずっと試合を続けている。もう4年以上、代表にいさせてもらっているから、この日程でも、やらなければいけないのが宿命だと分かっているつもり。

 でもね、このまま続けていったら、日本代表でも、シャルケでも良い結果につながらない。全部が中途半端になってしまう気がして……。『このままでいいのかな』という気持ちで国を背負って戦うことは、応援してくれる人や、他の選手にとっても失礼だと思っていた。だから、どこかで区切りをつけなければいけないと思い始めた。これは身勝手かもしれないけれど、このままじゃいけないと思った。代表にも迷惑を掛けてしまう」

http://www.soccermagazine-zone.com/archives/2424

「長い間代表俺どうなのかなと思っていて。理由は1つじゃないですけど、試合終わった後ロッカーで代理人に電話して『もう呼ばないでいいって言ってくれ』って言ったこともある。代理人は『2014年終わるまでは続けてくれ』と言っていて」とこれまでも葛藤があったことを告白した。

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/08/02/kiji/K20140802008678030.html

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内田シャルケでFWに抜擢

【#S04-速報】#ディマッテオ が #内田篤人 のポジション変更を発表。レアル戦の攻撃面での貢献や日頃の裏への飛び出しが相手にとって危険だという評価が、内田のFW抜擢に繋がった。今後は@KJ_Huntelaar と2 トップを組む。
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https://twitter.com/s04_jp/status/583025990177198081

今日は4月1日

ルールダービー:シャルケがホームでドルトムントに2-1で勝利

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https://twitter.com/s04_jp/status/516234545746567168

ダービー制した内田「ドルトムントらしくない」

「お互い勝ち点がそれほど拾えていない中での試合だったので、勢い付くという意味では大事な試合だった」。今季初勝利を飾ったブレーメン戦に続く連勝。「押し込まれると(相手に)勢いが付くし、極力、前に相手を押し込みたいなという気持ちもあった」と、内田自身、立ち上がりから積極的にプレーし、チームも前半10分、23分とセットプレーから2点を奪った。

「ラッキーと言ったらあれですけど、ドルトムントらしくないというか。強いチームはセットプレーでやられない雰囲気はありますけどね」

http://web.gekisaka.jp/news/detail/?148206-148206-fl

うっちータッチ集 VSしんちゃんダービー 試合の動画

スタッツ

ドル シャルケ
シュート数 17 11
枠内シュート数 6 8
ポゼッション 54.09% 45.91% 
ラン 12.25 km 10 km
チーム走行距離 123.4 km 118.2 km

試合の感想とスタッツから見える戦術

ドルトムントは珍しくボールのポゼッションが高い。実は日本人の感覚からすると以外かもしれないがドルトムントは調子がいい時はそれほどポゼッションが高くなるチームではない。欧州のチームには偶にあるパターンなのだけど、むしろ相手にボールを持たせる事で前に選手を引き出し裏に空いたスペースに高速でカウンターを仕掛けるというスタイルをとっている。その点で言えばこの試合のシャルケは逆に上手くドルトムントにボールを持たせることでカウンターをされにくくしているともいえるだろう。それはシュート数と枠内シュートの数に如実に表れていて、ボールを持った状態で相手に引かれた時に相手を引き出す為にドルはミドルシュートが増える。その結果シュート数が増えるものの遠くから打つのでコースが限定され枠内に飛びにくくなる。

勿論、バルサのようにポゼッションを高める事で勝ちに行くというスタイルも存在しているのでポゼッションが高い事自体が問題ではないけど、それぞれのチームが目指すスタイルがあり、チームが得意としないスタイルを相手に押し付けたという点で、シャルケの作戦勝ち的な部分も感じる。そして今のドルのメンバーの場合、対抗策といっても怪我人が多く引いた相手に対抗できる選手が比較的クロスも上手い香川くらいしかいないという問題もあったと思う。特に今主力となっているオーバメヤンやラモスは圧倒的なスピードを生かした攻撃を好む選手でスペースがない場合には空気になりやすい。連携を得意としている選手はほとんどが怪我をしているという影響は大きいだろう。

シャルケでの内田の立ち位置

#内田 選手が強くなってフェルティンス・アレーナに戻ってきた! ドルトムントとのダービー #S04BVB、1対1を18度も制し(全選手中最多)、ボールタッチ数(64)でも1位を記録!#S04

https://twitter.com/s04_jp/status/516253604483584000

この試合で内田は怪我から復帰したのだが、全選手中最多のボールタッチ数を記録している。実は内田は以前からシャルケではボールタッチが非常に多く、シャルケの右サイドの攻撃の核は明らかに内田に依存していた。特にドラクスラーが来る以前は本当に内田とファルファンに依存した組み立てをしいて、この試合でもドラクスラーが出場していなかった為また以前のような内田による組み立てをするチームとなっていた。SBのボールタッチ数が多いことは若干不思議に思う人もいるかもしれないけど、欧州のチームでは比較的よくある事で、日本代表で言うトップ下的な攻撃の組み立てをSB(例えばラームやマイコンような)やDMF(例えばピルロやジェラードのような)が中心になって行うチームが実は多数派だったりする。その為タッチ数も一番多くなるのは司令塔となるDMFで、次がSBのタッチ数が一番多くなりやすい。場合によってはCBがタッチ数最多というチームというパターンもある。日本代表の場合攻撃の組み立てをトップ下に依存するという、昔のイタリアなどであったファンタジスタ的なサッカーを主体としているので若干違和感がある人もいるかもしれない。

ブンデスリーガの歴史「ルールダービー」

素晴らしい解説がブンデスの公式に出ているので紹介。

シャルケとドルトムントによる威信をかけた戦い

 内田篤人が所属するシャルケと香川真司が籍を置くドルトムントの対決はルールダービーと呼ばれ、ドイツで最も激しい試合の1つとなっている。1963年のブンデスリーガ創設以来84試合が行われ、その対戦成績はドルトムント30勝、シャルケ29勝、引き分けは25回とほぼ互角。チームの好不調に関係なく、毎回接戦となる。

 ダービーの発端は1947年5月18日、当時地域リーグで圧倒的な強さを誇っていたシャルケを格下のドルトムントが下し、リーグ優勝を決めたことだと言われている。ここで初めて両クラブ間に対抗意識が芽生え、現在までに数々のドラマを生み出してきた。1969年には前半戦の試合で観衆がピッチに入り込み、けが人を出す暴動に発展したことを受け、後半戦の試合では過激なファンを威嚇する目的で近隣の動物園からライオンを借り出し、キックオフ前にピッチ中央を歩かせたという逸話もあるほどだ。

 両クラブ間のいがみ合いはピッチ内にとどまらず、ピッチ外での攻防も恒例となっている。2006年にシャルケファンがドルトムントの本拠地ジグナル・イドゥナ・パークから60mものバナーを盗み出したことに対し、ドルトムントファンは4年後にシャルケのフェルティンズ・アレーナの屋根に黄色と黒の旗を立てて報復。さらに2011年にはシャルケファンが再びジグナル・イドゥナ・パークにシャルケのチームフラッグを2本立てるなど、どちらも徹底抗戦の姿勢を貫いている。

 近年、ルールダービーを語る上で必ずといっていいほど名前が挙がるのが、ドルトムントMFグロースクロイツだろう。幼少期からドルトムントの大ファンだった同選手はシャルケを忌み嫌い、公衆の面前で「俺はシャルケのことが大嫌いだ。まるでペストのようにね」と話すほど。それ以来、グロースクロイツのコメントは、両クラブの敵対関係を報じる際、頻繁に使用されるようになった。

 また、ドルトムント戦でクラブ史上最も多くのゴール(16ゴール)を奪った元シャルケの故エルンスト・クツォラ氏は『エルンスト・クツォラ道』、そしてシャルケ戦のクラブ史上最多得点記録(11ゴール)を持つ元ドルトムントの故ローター・エメリッヒ氏は『ローター・エメリッヒ通り』といったように、クラブ施設付近の道にその名が冠されている。4年前に香川がシャルケ戦で2得点を挙げドルトムントサポーターの心を一気につかんでしまったように、ダービーで活躍した選手はクラブの“伝説”となる資格を有するのだ。

 両クラブの威信をかけた85度目の戦いは、いよいよ27日に開催される。新たなストーリーの誕生に、ドイツサッカーファンは大きな関心を寄せている。

ブンデスリーガ公式サイト

ちなみに2012年にもシャルケvsドル戦では暴動が起きている。1000人以上の警官が投入され200人近い逮捕者がでた。

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