日本代表がシンガポールに敗れた日に思った事

シンガポールに負けたので、日本代表の攻撃に関係してそうな事を知ってる事を簡単に

日本代表がシンガポールに負けて、あまりになんともいえない気分がしたので、日本代表について関係してそうな事を知ってる限り簡単に

シンガポール

日本代表の課題

以前からそうだが、日本代表は常に決定力不足といわれていた。確実に計算できるFWが少ない。今は岡崎しかいない。その岡崎は裏に飛び出すのが一番の武器だ。岡崎以外も裏に抜け出す強みのFWが多い。そして苦戦するのは、裏にスペースを作らない低いラインの相手。日本代表はミドルがある選手があまりいないし、高さのあるCFも多くはないし何故かまず選ばれない。

ジーコ監督はどうしていたか

昔も同じ問題が付きまとっていて、常々決定力不足といわれていて、そこで攻撃陣以外にSBや2列目の攻撃参加によって決定力不足を解消するという崩す方法が多用されだしていた。2列目のMFに中村や中田など才能が溢れていたこともある。また当時はカフーやロベルトカルロスなどが攻撃参加して異常な攻撃力を見せていたブラジルが最強だったので、ブラジル人のジーコもSBに攻撃的役目を要求しても何の不思議もない。まあ何故か代表のSBには不思議と都並、相馬、名良橋、アレックス、駒野、長友、内田と良いメンバーがそろっていたという幸運も関係していると思う。

しかしセットプレーでCBの中沢などが参加しない限りクロスではあまり勝てなかったのは同じで、それにも拘らずひたすらクロスをあげてロストした後にカウンターというやられ方が頻発していた。今と違うのは昔はそこに中村や中田、遠藤のFKという武器があって、こねている内にファールを取って一発勝負が出来た点。特にアジアレベルの相手にはセットプレーとMFの攻撃だけでも勝ててしまう程度には。

岡田監督はどうしていたか

南ア大会では万全の強豪を相手にしたとき、そもそも崩しきれないという前提が既に岡田監督にはあったと思う。だから南アでは普通に攻めるのを諦め、中村俊介など攻撃的な選手を外し、まず守備を固めて負けない形を取った。結果的に攻撃はカウンターをすることになり、それが機能した。しかも元々SBによる猛烈な駆け上がりと、それに合わせる攻撃を前の時代から頻繁にしていたため、カウンターでも無尽蔵なスタミナでSBが追随できた。恐らく偶然に。そして本田のパス能力を潰してまでシュートは上手かった本田をCFにし、さらに裏に抜け出しが上手い岡崎と、ドリブル突破が上手い松井を並べるという作戦。攻撃参加人数が少なくてカウンター攻撃ならばスペースがあり、突破力のある松井や裏への抜け出しが上手い岡崎が生きたし、本田もFWに並んでいる事でハブとしてボールを集めるとパスが機能した。

ザッケローニ監督はどうしていたか

ザック時代は少し違った。まず、あまりクロスをあげない。監督の支持でCFに豊田やマイクハーフナーを置いても、まったくクロスもあげないしパワープレーもしないという極端な傾向があった。交代メンバー的にいって矛盾しているので、それはザックの指示というより選手の判断だろう。代わりに打開するために使われていたのは、長友であり内田というSBだった。それでも崩せないならと遠藤や今野まで攻撃に参加した。以前スペイン人コーチの日本代表評を紹介した事があるが、個人的にはなぜ日本代表が守備を放棄してSBやボランチが攻撃参加していたのかは、部分的には代表を擁護できる所もある。それは長年日本代表が歩んできた攻撃のスタイルと無関係ではないし、決定力不足に悩んでいたからだと思う。だからSBやボランチが攻撃参加するリスクをとって数を投入して崩すというやり方を選んでいた。その為の突破力のある長友であり、崩しや組み立ての上手い内田だった。

更に、それが故に起きる長友のスタッツから見える苦悩についても、ここでも書いたが、だからといって長友だけがダメだとはいえなかった理由もここにあると思う。長友は上がりすぎてはいたが、長友がいないと崩せないという現実もあった。

そしてハリル監督になってのシンガポール戦である

歴史は繰り返すというか、ぶり返すというか、なんか同じものを感じた。ここで得点不足を解消するためにボランチやSBがやたらと攻撃参加しだしたら大体本当に同じ経緯をたどることに。

補足:一方オシム監督はどうしていたか

W杯には出ていなかったが、オシムの話も凄く興味深いと思う。オシムのインタビューが面白いので引用しておく

――4年前のあなたのチームには欠けていたものでしょうか?

「勇気が? それとも運が?」

――両方です。

「どうだか……。岡崎(慎司)はまるで矢のように動く。しかも斜めに走り込むスプリントだ。李も同じで、よく前に出て行く。ふたりとも、機会があるごとにボールに向かって飛び込んでいく。だが巻(誠一郎)と矢野(貴章)は……、彼らもどうしたらいいかは分かっていた。私はアグレッシブにプレーするようにと常に語っていた。『君らは日本で最も大きなサイズの選手で、それだけの身体があれば相手にショックを与えることができる。チームメイトも恩恵にあずかれる』と。だが彼らは、私が望んだ通りにはプレーしなかった。加地(亮)や駒野(友一)も、内田(篤人)や長友(佑都)に劣らない知性とフィジカルがあった。しかし彼らにしても、自分が何をするべきかを、恐らくは正確に理解していなかった」

凄く言いたいことはわかる。しかもJリーグで監督をしていれば、あえて体が大きい巻や矢野を選んだ事もよくわかる

――あなたのチームは、そこまでは行かなかった。

「私がやろうとしたのは、シンプルなことばかりだった。遠藤(保仁)と(中村)俊輔、(中村)憲剛。優れた選手で優れたプレーができる優れたチームを作る。彼らが走れず、フィジカルが十分でないのもわかっていたが、周囲の選手たちが彼らに走る必要を感じさせなかった。ところがザッケローニのチームは、岡崎、香川(真司)、内田、長友、本田(圭佑)など、若い選手たちが欠点を補った。彼らはいずれもポリバレントで、攻撃もできるうえ戻ってよく守備もする。そんな選手たちがいれば、遠藤もプレーはずっと容易だ。彼らの中に入って、同じように動けばいいのだから。若い選手たちが走るから、彼も必然的に走らざるを得ない。それが私のチームとの大きな違いだった」

http://number.bunshun.jp/articles/-/811574?page=2

そして、今はその時の若手が今やベテランとなって走力不足に苦しんでいる気がする。特に怪我の本田、長友、内田などは、同じく怪我だった中村や、走れなかった遠藤と同じような問題に苦しんでいる気がする。それ所か守備の課題まで・・・

――その通りではありますが……。

「(2007年アジアカップ準決勝の)サウジアラビア戦でも、2点目のゴールを許すことはなかったはずだ。阿部(勇樹)がうまく対応できずにヘディングシュートを決められたが、その前のシーンでは遠藤が左サイドの守備に入っていた。試合前に私は、駒野に守備で遠藤を助けるように言っていた。相手のサイドバックが攻め上がったときはカバーして、2対1の状況を作れと。だが遠藤は抜かれ、クロスを上げられて失点した。普通ではあり得ないことだ。私は駒野を怒った。彼はしょんぼりしていた。さらに、3点目もミスから生まれたゴールだ」

http://number.bunshun.jp/articles/-/811574?page=4

まったく同じ話で面白い。ザッケローニ時代でも同様に駒野の変わりに長友が遠藤のカバーをしていたが、攻撃参加で上がった裏を付かれ遠藤は追いつけずに失点するというシーンが何度もあった。今は柴崎が別の意味でロストしやすい。色々な監督が海外から着て日本を指導するが、面白いように似たような問題に取り組んでいる。

関連項目

イビチャ・オシムが何故持ち上げられるのか footballologies

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